※ 5回のシリーズです。一気に書き上げたこともあり、加筆などはまだまだある予定です。
いよいよ英検の試験ももう少しですね。
英検そしてTOEIC (満点は取っていないのですが) はとりあえず自分の中で完了し、米国移住の際にごっそりと処分してしまいました。
が、アルコムの皆さんの記事を読んで懐かしくなり、思わず本棚を探しました。すると処分できなかった本の一部が残っているではないですか。
この本がとても懐かしかったこと、そして英検の季節であることもあり、これまでの私の英語学習の格闘をまとめてみようという気になりました。
といっても、もともと私は英検合格や大学合格といった類(たぐい)のことがそれほどすごいことだとは考えてはいないこともあって、合格体験記といったものを書くことにはとても抵抗があります。
ただその一方で、自分の大学受験時代などを思い起こすと、例えばエール出版社の『〇〇大学合格体験記』といったものを立ち読みしてモチベーションをあげたり、参考にしたりしたのも事実です。
思えば英検受験、情報処理試験の受験時代も同じようにこうした体験記にはモチベーションをもらったり、助けられてきました。
そういう意味では私の体験も何らかのお役に立てるかも知れないとおもうようになりました。英語を専門としない一般の社会人ではありますが。
まあ合格体験記というよりかは、その時その時の自分の英語レベルに応じてどんな勉強をしてきたか、まずは自分なり振り返ってみようと思います。
その上で、その文章が読者の皆さんにも何かの形でお役に立てればいいかなと思います。
序章:いつかはアメリカへ当初大学院進学を考えていたのですが 、大学卒業の年に入り、仕送りなしで奨学金とバイトだけでやっていた私はどこかで疲れていました。
徐々に企業の採用が再び増え始めていた時期で会社紹介は山ほど来ていたと思いますが、たまたま手にした企業の事業内容に興味を持ち、同業の会社を合わせて2社訪問することとしました。
当時は理工系は研究室単位で既に内々に推薦が決まっていた筈ですが、私は理学部で疎かったこともあり、そういうことを全く理解していませんでした。別の研究室のつてを頼って会社を訪問するなり、開口一番、「なんだ、今頃来たのか」といわれる始末です。
ただ、幸運なことに「もしどうしても来たければ」ということでニ週間返事を待ってくれることとなりました。
さて、慌てたのはこちらです。私は遠く地方の大学だったので一度戻り、会社四季報などを見ながら同業の会社をもう2つ、追加で訪問することにしました。そして、2社を訪問した後、どうしたものかた考えていたら千葉県の犬吠崎まで来ていました。
水平線をみながら、その会社に行こうと決心しました。緑色の公衆電話から電話を入れました。
勉強もあまり進んでおらず、院試も合否すれすれだったこともあるのでしょうね。ただ、ともかく早くお金を稼ぎたいと思いました。
反対に、決心するのと同時に出てきたのが、「いつかはアメリカへ!」。
まさに気分は、『巨人の星』の星飛雄馬、はたまたTaraを目指す、いやTaraで打ちのめされながらも再び立ち上がるScarlett O'Haraといったところでしょうか♪
それまで英語はそんなに一生懸命は勉強していませんでした。でも嫌いでもありませんでした。
専門の物理書を数冊原書で読んだ他に、教養時代はEugene O'Neillの『Long Day's Journey into Night』を始め英文文学を読む講義をトータル4~5コマ、友人たちとの自主ゼミでミッシェル・フーコーの『知への意志』など読んでいました。
フーコーはとても難解で数十ページで終わってしまいましたが。
卒業年はバイトや卒論、そしてクラブの学生選手権とかあって、英語の勉強時間も限られていました。覚えているのは週の半分かそれ以上大学の図書館へ行って、Asahi Weekly(だったかな)の社説や記事を数個ずつ読んでいました。
が、そこでは新聞は立ちながら読まなければいけませんでした。 加えて当時の英語力はひどいもので、立ちっぱなしで辞書と首っ引きになりながら相当苦労しました。
懐かしい記憶ですが、本格的な英語勉強へのきっかけと、助走期間でした。
続きます。